九州・中国地方の御朱印紀行

九州・中国地方の神社の紹介・御朱印の紹介です

福津市津屋崎「宮地嶽神社」

福岡県福津市にある宮地嶽神社は、日本全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。


「御祭神」

息長足比売命(おきながたらしひめのみこと・別名:神功皇后)
勝村大神(かつむらのおおかみ)
勝頼大神(かつよりのおおかみ)
を御祭神として祭っています。


御由緒

ご創建は、約1700年前。
ご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。


黄金の屋根と金成伝説

宮地嶽神社には、約三百年位前に出土した、日本一の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳が有ります。この古墳は6世紀末頃の建立と推定されています。
その石室は、全長23メートル、高さ幅ともに5メートルを超える、相之島の玄武岩を切り取った巨石で積み重ねらており 特大太刀(タチ)や刀装具。馬具類、緑に輝く瑠璃壺や瑠璃玉、そしてガラス板など、およそ300点が発見され、そのうちの20点もの品々が国宝に指定されました。それらの中で特に目を引くのは黄金を使った品々。例えば金銅製の冠には黄金に龍や虎の透かし彫りが施されています。
そして3.2mの特大太刀は頭椎(かぶつち)がついており、やはり金の装飾が施されています。さらに教科書などでもお馴染みの金銅製の鐙(足置き用の馬具)は、金の七葉唐草文が貼付され、遠くオリエントからの影響を見ることができます。
この巨大な古墳の主は、金の冠をいただき、金の刀装具や馬具で身を固めているような人物だったのです。このことから宮地嶽古墳には、北部九州の王が祀られていたと考えられています。


三つの日本一

①大注連縄
直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄は当社のシンボルでもあります。 この注連縄は、毎年掛け替えられ約2反の御神田に、昔ながらの稲を生育させ、丹精込めたワラにてなわれます。稲の発芽から注連縄の掛け替えまで、全て当社に縁の深い方々による奉納で、掛け替えまでには、延べ1,500人もの方々による奉仕を頂きます。


②大太鼓
直径2.2メートルの日本一の大太鼓です。今日では全国に、この太鼓より大きな太鼓がありますが、当社の太鼓は全て国内より調達した材料により製作されています。太鼓の銅は檜を原木とし、その表面に漆を幾重にも重ねて音の響きを大切に致しております。 その上、左右の鼓面には和牛の皮を太鼓用になめしたもので、今日の国産和牛では入手できないサイズの皮で調製されています。 例年、1月1日午前零時に大太鼓は打ち鳴らされ、その音は、境内から数キロ離れた所にも響きます。


③大鈴
重さは450kgもある銅製の大鈴で、篤信の方のご奉納によるものです。 昭和35年迄は大注連縄と共に拝殿に飾られ、ご参拝の方々が驚かれていたのですが、その重量の為、今日では鈴堂を建立し、大太鼓と共に奉安しています。 この様な、大きな品はご信仰されます方がご自分の神様への篤い御心を形にされるものです。とりわけ、大注連縄・大太鼓・大鈴の3種は日本一を誇るものです。


宝物

①丸塚古墳
宮地嶽中腹の不動神社を祀る日本最大級の巨石古墳が発見されたのは、260年以上まえの事です。この石室は、御物から推察すると六世紀末から七世紀始めのものです。全長23mという大規模な石室は、高さ幅とも5mを超す大きな石を積み重ね作られたようです。
古墳からは、馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉やガラス板など、およそ300点が発見され、どれも第一級のすばらしいものであり、そのうち十数点は国の指定物件として国宝に指定されています。この地を支配した氏族の繁栄と富みを象徴する品で、まさに地下の正倉院ともいえます。
※平成17年3月2日 国の指定史跡となりました。


②金銅製頭推太刀柄頭
大小2帯あり、小刀は完形、大刀は原形を留めず、長さが260cm程と推察されています。これ程の長刀は儀礼等ですが、我が国に現存する最大級の物です。
今日では模造品が昭和46年に文化庁により復元されました。
鞘の透かし金具は菱形の文や大きな丸紋があり、他に類を見ない紋様です。鐔には鈴がはめ込まれ、この時代の特徴を表しています。
柄巻きは銀糸が使用され、鞘の透かし金具の下地には朱漆を幾重にも重ねた塗りです。
又、多くの朱紐が使用された痕跡があり、この時代(古墳後期)の作品と断定することができます。


③骨蔵器
古墳時代も末期になると、大陸より仏教が伝来し、埋葬文化も発展をみます。
中でも、所蔵の骨臓器は土製深鉢・銅壷・瑠璃瓶の三重で形成され蓋付銅壷は195mmの鋳造品で瑠璃瓶は112mmで吹きガラスの製法です。蓋には宝珠紐跡があり、白鳳時代の瑠璃瓶と共通した構造です。


④銅鋺及び銅盤
蓋が癒着していて、胴の部分、高台に欠損がありますが、蓋には宝珠形の紐結付け取っ手が有り、手のひらに乗せれる程度のサイズで、その形状は可愛らしいと評する事もできます。
この銅製の受け皿でもある銅盤と共に古墳時代終焉の頃の地で発掘された類似品と共通点があり、そのような所からも年代を考える事ができます。


⑤金銅製鞍橋覆輪金具
一般に木製の鞍の骨組みをなす部分を鞍橋[くらぼね]といいますが、それぞれ海、磯から成る前輪[まえわ]と後輪[しずわ]と呼ばれるものに居木[いぎ]が取り付けられて形を成します。
この前後両輪は鍍金が施され、強靭流麗な唐草でデザインされた龍紋が彫刻され、小さな蓮紋様が配せられています。
この蓮模様は仏教美術要素の流入と考えられます。鉄地金銅製紋具、鞍のハマをなす忍冬紋及び龍紋の珠紋様帯をもつ飾り板が使用されています。磯に付けられていた飾り金具がこの遺物です。
平安時代以降、鞍は材料や加工技術の向上により美しく装飾され、前後輪の形や、海の有無、馬飾りなどによって、殿上人や随人といった身分の違い、また水干を付けたときの水干鞍や平常用の和鞍といった用途の違いで使い分けられるようになります。その後、塗りや螺鈿[らでん]、蒔絵[まきえ]など素晴らしい装飾が施されて用いられますが、この遺物が作成された当時では、かなりの権力と財力をもって作られた事が伺える逸品といえます。


⑥宝冠
金銅製龍虎紋様透かし彫り天冠ですが、その保存形状が悪く、現在は周囲を膠で固め保存しています。この紋様等推察する所、前述の鞍(馬具)と対にて制作された物だと考えられます。我が国では数個の天冠がありますが、その中でもかなり秀逸な作品だと考えられてもいます。


⑦緑瑠璃丸玉
丸玉が202個発掘されています。何れも緑色半透明で、1.3mm程の瑠璃(ガラス)ですが、その制作時代は定かではありませんが、古墳時代中期の物だと考えられています。
高貴な方の死去により、その方の為の装飾品を同時に埋葬したもので、かなりの身分の方だからこそ、かなり貴重な瑠璃珠が副葬品として出土しています。


⑧緑瑠璃板
厚さ1.3mm×長さ17.7mm×幅10.7mmの瑠璃板です。前述の丸玉と同時代の同質の物と思われ、おそらく瑠璃玉の原材料であると考えられます。
又正倉院には同質瑠璃板細片が多量所蔵されていますが、本サイズの物は他に類はありません。


⑨金銅製鏡板付轡
心葉形の鏡板は周緑に珠紋帯を有し4区に別け、内部には流麗な半肉彫りの唐草紋様の透かし彫りを施し、裏板が付けられています。この鏡板と同一組み合わせの杏葉が発掘されています。
静岡県で発掘された同等品もありますが、本品は、保存状態も良く一級品です。


⑩金銅製壷鐙
一級品の国宝であり、最高の保存状態でもあります。
この鐙は袋状をなし、長方形の吊り金具が取り付けられた忍冬紋様が施されています。踏み込みには銀歯状の凹凸を作り、滑り止めの細工まで施しています。
純金で彫金された、この鐙は今日でもその光・輝きを失うこともありません。 同様の品は、法隆寺・正倉院にも所蔵されていて、中国六朝時代の作と考えられています。


〒811-3309
福岡県福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社
Tel : 0940-52-0016